2019/09/27 ~
国立台湾文学館 1F展覧室C
南方へ赴くこと、それは20世紀初頭における台湾の紳士や商人たちが抱いた夢でした。
台湾の文人からすると、南洋(江蘇省以南の沿海諸省の総称)は一面に咲き誇る鮮やかな花々、風に揺れる椰子の木がその中に収められ、様々なチャンスと縁が呼びかけてくる宝箱であったと言えます。
ビジネス、グランドツアー、考察、仏教を広める、婚姻関係を結ぶなど、詩文の創作も熱帯の風情の影響を受けたのです。
台湾と南洋の交流には長い歴史があります。1863年に澎湖の進士・蔡延蘭が事故によりベトナムへ
漂流し、1941年の太平洋戦争の勃発後には、さらに多くの台湾の文人たちが嬉々として南洋へと向かったのです。
本展では台湾・新北市板橋区とインドネシア・メダンの、2つの家族の国際的な婚姻関係を出発点に、台湾の古典詩が南へ渡る足跡を描き出しています。プラナカンである張福英の視点から、台湾の文人が南洋にやって来た動機と、筆で表現された民族グループ、物産、気候、景観などを含む南洋での執筆を観察しました。また張福英が夫の林景仁に同行し向かったアモイ、台湾での旅行体験により、側面から新北市板橋区の林家が西のアモイに渡り、さらに南洋へと赴き発展していく家族の変遷の歴史を観察しています。
本展では張福英本人が執筆した《娘惹回憶録(プラナカンの回顧録)》の自伝を基に、台湾の古典詩が南洋で執筆された流れを一つに繋げました。ユニークで隠された南洋の女性の視点により、新北市板橋区の林家が特殊な時代背景のもと、いかにして国、民族、言語、芸術、文化の境界線を越え、南洋地区とつながりを生み出したのか、文学の創作と特色に影響を与えたのか、最後に台湾の古典文学界と南洋地区の相互コミュニケーションにまで広がっていったのかが記録されています。
台湾の文人が南洋にやって来たことで、その創作に地理的なぶつかり合いが生まれただけでなく、 風情や民俗からの刺激を受け、また奇妙な文字と様々な音が結びつきました。それはまるで南洋の糸に金糸を織り込んだかのようにきらめき、はっきりと鮮やかで様々な色合いを織りなしたのです。
Last Updated on 2019-10-09